眼球が粉で埋まる。息ができない。カメラは壊れる。日本人女性の乳は一番の標的。いよいよ始まったホーリー祭。早朝、ブリンダーバンの街へ向かうタクシーから、すでに祭りという名の戦争は始まっていた。子供はもちろんのこと、大人の男どもも、少年のような顔をしている。どちらもものすごく悪い顔をしている。窓のない三輪タクシーに乗った外国人の僕らは、世界中で誰よりも無防備だったに違いない。ホテルを出てすぐ全身粉まみれになり、それはブリンダーバンの街に着くまでに積もった。僕らも粉を買って応戦を試みるが、粘りのインド人には到底かなわない。到着する頃には僕らの戦意は消え去っていた。ブリンダーバンの街は、もっとすごいことになっていた。細い路地は敵で溢れていて、前からも後ろからも上からも横からも粉や水が降ってくる。ひときわ人でひしめいていたのが、バンケ・ビハリというお寺。外では男たちが歌い、踊り狂っている。中へ入ってみると、寺の中の様子は外と少し違った。ここでようやく僕は、ホーリー祭が信仰のお祭りであることを理解できた。ブリンダーバンはクリシュナ神の生誕の地とされていて、諸説あるがホーリー祭はクリシュナにちなんだ祭りなのだとか。寺の内部では、奥の祭壇に置かれたクリシュナ像に向かってみんな色の粉を投げては熱心にお祈りしていた。町中狂ったように盛り上がっているが、この日はカーストの無い無礼講の日なのだと、周りのインド人たちは口々に言う。確かに、誰しも分け隔てなく色を塗りたくられブッカケられ、たまにモメるが基本みんな怒らない。その激しさだけに目を奪われがちだけれど、根っこには何かの想いがあるイベントなのだと感じた。世界には色んなことがあるもんだと、この祭りほどひしひし感じたことはない。そしてそれは発端があること、今も受け継がれていること、その理由なんかを考えると、人間が求めることなんてどこもずっと変わらないんだなと思う。だから、やんちゃな男どもにとってはセクハラ祭りになっているのも、ある意味では他の国々と一緒のことなのかもしれない。ただ、その部分についてはインド全体で考え直して欲しい気もする。
Tabi
30,27